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  • 「田舎暮らしってのんびりしているんでしょう?」

     田舎暮らしってのんびりしているんでしょうとよく言われる。田舎暮らしと呼べるほど田舎に住んでいるわけでもないのだけれど。海辺の町で暮らして 14 年目。実感としては都会で暮らしていた頃より忙しい。    ある日の行動をそのまま書いてみる。  朝食。娘を学校へ見送る。在宅勤務の妻と二人分のコーヒーを淹れる。リモートで打ち合わせ。里山の菜園でトマトの芽かきと伸び過ぎた枝の剪定。原稿を書く。妻と一緒に蕎麦を食べる。原稿の続きを書く。ランニングでひと汗掻いてシャワー。下校してくる娘を迎える。二人分のカフェオレを淹れる。リモートで打ち合わせ。夕暮れの浜辺で娘と縄跳びでまたひと汗掻く。入浴。バルコニーで海を見ながらビール。夕食。妻は娘とカードゲーム。ぼくはバスと電車で渋谷のラジオのスタジオへ行く。生放送。帰宅は午前零時前。    忙しいのは仕事をしているだけじゃないからだと思う。海辺の町に来て菜園を始めたのと子供ができたのも変化としては大きい。これが都会であれば子育てはシッターさん、食事は Uber EATS などにアウトソーシングすることもできるのかもしれないけれど、この町には代行してくれる手...

    3日前

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  • 「母の日のもうひとつの意味」

     妻が娘に「いつもありがとう」と母の日のプレゼントを贈られている姿に今年も目頭が熱くなる。  母の日。子供の頃は当たり前のように子が母に感謝するだけのものだと思っていた。ところが同じものでも視点が変わると違う意味が見えてくるように自分が親になってからは違う意味合いを感じるようになる。    それは大切な人を彼女が望んでいた「母親」にしてくれた娘への感謝だった。当然のことだけれど、娘が生まれていなければ妻は母親にはなっていない。母の日に感謝することはあっても感謝されることはなかった。妻も同じ気持ちだったのだろう。母の日のプレゼントをくれた娘を「お母さんにしてくれてありがとう」と抱き締めていた。  しかしながら、娘は自分が生まれてきたことに感謝されても今ひとつピンときていない。ぼくは彼女が産道を出てくる際、臍帯が首に巻き付いて心拍が低下したときの話をした。 「とてもがんばって生まれてきてくれたんだよ」  母の日は母親にして貰えたことに、父の日は父親にして貰えたことに、勤労感謝の日は仕事があることに、それぞれ感謝される側が感謝する日でもあるのだと感じた。感謝されるのは感謝...

    5日前

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  • 「青春スキップ」

     子供ってどうしていつもスキップしているんだろう――と、うっかり主語が大きくなってしまった。娘の話だ。彼女はぼくの前を歩くときいつもスキップししている。ポニーテールを左右に揺らしながら飛び跳ねるように歩いていく。     2 年生に進級して小学校が俄然楽しくなったらしい。 「学校の電子ピアノでブリンバンバンボンを弾いたよ」 「てけてけって知ってる? すっごい怖いんだよ」 「夜の学校は家より妖怪に遭うリスクが高いんだよ」  なんて具合に毎日のようにクラスメートたちと共有した新しい情報を仕入れて帰って来る。夕食のときも朝食のときもずっと学校であったエピソードを切れ間無く話続けてくれる。内容はよくわからないことも多いけれど友達に囲まれて賑やかにやっているんだなという様子だけははっきり伝わってくる。  スキップで飛び跳ねていく娘の後ろ姿を見て、彼女にとっては今が人生最初の青春なのかもしれないと感じた。人生の春。生きていることが楽しくて仕方ない。この瞬間が永遠に続けばいいなと感じている。過去でも未来でもなく、今だけを見ている。彼女は今そんな季節を生きているのなのかもしれないと。  ...

    1週間前

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  • 「時間が馴染ませてくれること」

      14 年振りに神戸に来ることができた。新長田の駅を降りる。被害が大きかった町のひとつだ。震災後に建てられたビルの向こうに再建された商店街が伸びている。学校帰りの高校生たちが屯している広場では復興の象徴として建てられた等身大の鉄人 28 号が夕陽を背に受けて輝いていた。    町の再建にあたってコミュニティが破壊されるという住民の反対をニュースなどで注視していた。それでも行政は災害に強い町作りを強行した。インフラ的にも経済的にも強いことを優先すると。それはコミュニティを優先して欲しいという住人の願いと相容れるものではなかったのかもしれない。かつてのコミュニティは壊れてしまったのかもしれないし、その後の不況やパンデミック、少子高齢化など複合的な理由もあって元通りになっているとは言えないのかもしれない。事実、復興はうまく行っていないというニュースを目にしたこともあった。  それでも 29 年経った今、長田の町で生きている人たちの姿を見て「時間」が答えを出してくれるものがあるのだと感じた。時間が「解決してくれる」とは言わない。でも時間が「馴染ませてくれる」ことはあるのかもしれないと。...

    2024-05-10

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  • 「波紋を生まないように」

     娘が相変わらずトットちゃんに夢中だ。「窓際のトットちゃん」を読み終えた後すぐに「続・窓際のトットちゃん」に突入した。あんまり夢中で読んでいるので妻が気を利かせて買っておいてくれたのだ。続編を 42 年待っていた人も多い中、たまたま手に取ったタイミングがトットちゃんと同じ学年で、かつ続編が発売されたばかりというのは運命の巡り合わせとしかいいようがない。    そんなトットちゃんの続編を読んでいた娘が「仕事と結婚」と呟いた。 「トットちゃんは結婚しなかったんだって」 「そういう人もたくさんいるよ」とぼくは答えた。 「アンナはバレエと結婚したんだよ」  白鳥の湖で魅せた「瀕死の白鳥」が代名詞となった 20 世紀初頭のロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワ。娘は彼女の伝記漫画を何度も読んでいた。 「マイヤは結婚したんだよ」  父親がスパイの容疑でスターリンに粛正されるも、ロシアのボリショイバレエ団に入団。 20 世紀最高のバレリーナと称されたマイヤ・プリセッカヤ。彼女のことも娘は伝記漫画で知った。ともにバレエに夢中な娘にとっての憧れの存在だ。 「ママは結婚と仕事を両立しているよね」 ...

    2024-05-08

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  • 「どこへも行かない」

     ゴールデンウイークのある一日、朝から娘と妻とビーチカヤックをした。家から歩いて数分のところにある浜辺だ。 134 号線を歩いてレンタルショップまで行く。娘が渋滞の車列を見て「運転もしなくていいから良かったね」と言ってくれた。昨晩遅くに仕事先から帰ったばかりだった。車を運転して一日掛かりで海に行かなければならなかったらちょっと躊躇していただろう。そもそもカヤックをしようと決めたのも数日前の話だ。天気予想と半日休みがうまい具合に重なったのだ。    凪、とは行かなかったけれど、小波が立つくらいのまあまあのコンディションだった。薄曇りのおかげで陽射しもきつくない。何度かカヤックを経験している娘が妻よりも慣れた手付きでオールを漕ぐ。漕ぎながら先頭の妻に「ママ、そうじゃないよ。こうだよ」と指南する。ぼくは最後尾で舵取りをしながら笑っている。  慣れ親しんだ海辺の町を海側から眺める。改めて山と緑に恵まれた町だと実感する。海上散歩をしばし楽しんでからスタートした浜とは別の浜に上陸する。バス停ひとつ分のところなのだけど海から上陸すると初めて来る場所のように感じられる。娘も冒険心をくすぐられ...

    2024-05-06

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  • 「きのうごはんなにたべたの?」

     父親が仕事で地方に行くことを世間では出張と言うらしい。ぼくが仕事で数日間家を空けていることを娘が友達に話したら「そうか、パパ、出張なんだね」と言われたんだそうだ。    だが、ぼくは出張ではなく、旅と呼びたい。    午後 21 時過ぎ、現場から駅前のビジネスホテルへ向かうハイエースの窓越しに輝く満月に遠く離れた家族を思う。久し振りの旅情だ。  そんな旅の間、娘から毎朝 LINE でショートメッセージが届いていた。そのメッセージに必ず入っている質問が「きのうごはんなにたべたの?」だった。  ちゃんと食べているか心配してくれているのだろうか。それとも自分だけおいしいものでも食べているんじゃないのかという羨望なのだろうか。  毎朝、昨日食べたものを娘に返信する際、ぼくからも「きのうごはんなにたべたの?」と質問した。どんなに理由にせよ、家族というのは互いにちゃんと食べているかどうかを心配する間柄だというのを改めて実感した。娘もまた食べることが生きること、生きていくことだと本能的に感じ取っているのかもしれないと感じた。 「きのうごはんなにたべたの?」  娘と離れていてもこ...

    2024-05-03

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  • 「言われなくても分かっていることを親に何度も言われるほど子供にとって苦痛なことはない」

     朝ごはんに時間が掛かる。いや、朝ごはんが遅い。正確に言うと娘が朝ごはんを食べるのが遅い。省略しているのはぼくと妻もだし、娘自身もそう言っているからだ。  毎朝「早く食べないと学校に遅れるよ」と妻やぼくに急き立てられている。言っている方も言われている方も憂鬱な気分になる。早起きして用意してくれている妻には本当に申し訳ないのだけれど、つい朝ごはんがなかったら朝は平和なのになとすら思ってしまう。まあ、こんなことで頭を悩ませていること自体がかけがえのない平和なのだけれど。  子供の頃、朝会の整列中に倒れる子がいた。低血糖や貧血。大抵は朝ごはんを食べていない子たちだった。朝ごはんはしっかり食べさせて下さいと学校からのプリントにも書いてある。でも朝ごはんをしっかり食べていると遅刻してしまう。妻は早く食べられるようおむすびにしてくれたり、噛まずに飲み込める雑炊にしてくれたりもする。時には娘が自分で味噌汁掛けごはんにしたりもしている。それでも食べるのが遅いことに代わりはない。ぼくも起きてすぐに水分を摂らせたり、一緒にラジオ体操をしたりするが食べるのに時間が掛かるのに変わりはない。 ...

    2024-05-01

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  • 「骨が折れるね」

     初夏の日曜、娘と二人で里山の菜園に出掛けた。二人だけで畑に行くのは初めてだったんじゃないだろうか。    ゴールデンウイークになる前にトマト、キュウリ、ナス、ピーマン。夏野菜の苗の定植を終えておきたかった。もうひとつ、娘が蒔きたいと言っていたひまわりとアサガオの種蒔きをするのも目的だった。  作業の始まりはいつも草刈りだ。無農薬で野菜を育てているからには避けて通ることができない。 妻が一緒のときはすぐに飽きてミミズやテントウムシを探したりおやつを食べたりしている娘もこの日は違っていた。自ら鍬を手に率先して草刈りをしている。 「学校でも畑をやるんだよ」  刈ったばかりの草を両手に抱えて運びながら娘が言った。 「オクラかキュウリか迷ってキュウリの担当になったんだ」  畑仕事をしながらそんなことを話してくれた。毎日話を聞いているようで聞いていないことがたくさんあることに改めて気づかされる。今日のこの時間がなかったら聞けていなかったかもしれない。 「ありがとう。とても助かるよ」と汗を拭いながら感謝の意を伝えると「骨が折れるね」と娘が笑った。 「よくそんな言葉知ってるね...

    2024-04-29

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  • 「環境省と文科省」

    「卵のパックなどのプラスティック容器を持って来るように」という指示が学校からあった。図工の教科書に載っている工作の為だった。卵パックなどのプラスティック容器にカラーセロファンを貼ってステンドグラスを作るのだという。   「ごめん、うち卵のパックない」と妻が言った。卵は近所の養鶏場で買っている。産み立ての卵だ。いちいちプラスティック製のパックなどに入れたりはしない。入れてくれてもビニールの袋だ。こちらで籠を持っていくときもある。 「そうか」と図工の教科書を前に困っている娘に「卵のパックを持って来れる家庭の方が少ないんじゃないの?」とぼくは聞いた。地元の人の多くが同じ養鶏場で卵を買っているのではないかと思ったからだ。  環境省がレジ袋を有料化したのは 4 年前のことだ。 2021 年には「プラスティック資源循環促進法案」が閣議決定された。使い捨てプラスティック製品の削減を求める法律だ。 以後、卵のパックを紙製にするメーカーも増えている。  にも関わらず、だ。文科省が 2024 年度の教材として認定した図工の教科書には「卵のプラスティックパックを使った工作」が掲載されていて、家庭...

    2024-04-26

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