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20:00〜放送 PLANETS批評座談会〈成瀬は天下を取りにいく〉

ご視聴はこちら→https://live.nicovideo.jp/watch/lv344727629
毎月話題作を取り上げて語り合う「PLANETS批評座談会」。今回の作品は、『成瀬は天下を取りにいく』です。
宮島未奈のデビュー作にして、2024年本屋大賞を受賞したの衝撃作。この異例のヒットが現代の文学界に何をもたらすか、本屋大賞発表を踏まえて語り合います!

▼出演者
宇野常寛(評論家・PLANETS編集長) 三宅香帆(書評家)
柳瀬博一(編集者、作家、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)

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  • 6/26(水)開催! 日本人はもう「田舎」には住めないのか? 「地方創生」の理想と現実を身も蓋もなく議論する|家入一真×宇野常寛×占部まり×たかまつなな×牧野圭太(渋谷セカンドステージ vol.28)

    PLANETSよりトークイベント開催のお知らせです! 渋谷ヒカリエ 8/COURTを舞台に、PLANETSと東急株式会社が共同で、渋谷から新しい文化を発信することをテーマに実施している「渋谷セカンドステージ」、次回の開催が決まりました。 今回のテーマは「地方創生とまちづくり」です。 2010年代以降「地方創生」が叫ばれてきた一方、 都心部と地方との分断が加速しつづけた現代に必要な再建計画はど のようなものか。「ワークアズライフ」としての地方移住、 都市部の広告戦略を応用した地方のブランディング、 地方医療としての少子高齢化対策…… さまざまな形で地方でのプロジェクトを持つプレイヤーたちをお招きし、2020年代の地方創生について語り合います。 参加チケットのお申し込みは こちら から。 ▼出演者 家入一真(株式会社CAMPFIRE  代表取締役) 2003年株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ)創業、2008年JASDAQ市場最年少(当時)で上場を経て、2011年株式会社CAMPFIRE創業、代表取締役に就任。2012年BASE株式会社を共同創業、東証マザーズ(現グロース)上場。2018年ベンチャーキャピタル「NOW」創業。Forbes JAPAN「日本の起業家ランキ...

    2024-05-10

  • 勇者シリーズ(7)「勇者警察ジェイデッカー」|池田明季哉(中編)

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載 『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』 。 今回は『勇者警察ジェイデッカー』について分析します。人間と同じ「心」を持つ、デッカードをはじめとしたブレイブポリスたち。もはや人が「乗り込む」ロボットとして存在する必然性が薄れた結果、本作が直面した課題とは──? 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(7)「勇者警察ジェイデッカー」 「人間」になっていくロボットたち ダ・ガーンは地球の意志ともいえるような超存在にその人格の根拠を置いていた。しかしジェイデッカーのブレイブポリスは、あくまで超AIという人間が生み出したテクノロジーである。これ自体はマイトガインの勇者特急隊にも存在した設定だったが、それはあくまで旋風寺舞人が所有する旋風寺コンツェルンのテクノロジーのひとつにすぎず、超存在「ではない」意志の根拠として設定されただけで、掘り下げられることはなかった。 しかしジェイデッカーは超AIによって生まれた人格そのものを主題にしていく。デッカードをはじめとしたブレイブポリスは、主に人間たちとの絆を通じて「心...

    2024-05-07

  • 第十二章 制作――ハードウェアの探究|福嶋亮大(後編)

    6、制作の哲学――他者性のオン/オフ 制作者は、素材=ハードウェアとしての他者を象る。これは他者性の創設である。しかし、この被造物が制作者と合一するとき、他者性はむしろ打ち消される。制作者にとって、素材の他者性はときにオンになり、ときにオフになる。さらに、制作者自身も自らの制作物の魅力や恐怖に屈するとき、自己がオンの状態とオフの状態が重なりあう。『フランケンシュタイン』と「ピュグマリオン」が示すのは、まさにこの量子状態である。 ここで議論の補強のために、哲学的な観点も導入しておこう。「制作的態度」を現象学的に分析したハイデガーは、およそ次の二点を指摘している。 (α)制作的態度において、制作されるものはそれ自身に引き渡される。材料や素材がそれ自体として自立したものとして了解されるのは、作るという態度によってである。「材料や素材といった概念の起源はまさに、制作に定位した存在了解にあるのです」[13]。もう一歩進んで言えば、制作的態度こそが制作を必要としないもの、制作不可能なもの、つまり「自然」を浮上させる。 (β)制作者の狙いにおいては、制作物は「できあがれば自由に使用されるもの...

    2024-04-30

  • 第十二章 制作――ハードウェアの探究|福嶋亮大(前編)

    1、読むこと、見ること、作ること 私は前章で、近代小説の主体性の源泉が「読むこと」の累積にあることを示した。一八世紀の書簡体小説では、登場人物たちが大量の手紙を送受信し、相手のテクストにエントリーし続ける。手紙はいわば瞑想用のアプリケーションであり、心(主観)の状態をその揺らぎも含めて、きわめて詳細に書き込むことができた。さらに、近況を報告しながら、知識や感情を親しい相手とシェアする手紙は、速報性と共同性を兼ね備えた媒体でもある。書簡体小説はこのアプリケーションに支援されながら、主観とコミュニケーションを文学の中心に据えた。 この文学的発明によって「読むこと」はたんなる情報の獲得ではなく、相手の心を深く了解するための没入的なコミュニケーション行為となる。他者の書いたテクストへの反復的なエントリー(学習)によって、書簡体小説の主人公たちは、心的な一貫性をもつ主体として組織された。しかも、彼らのプライヴェートな送受信の記録は、なぜか読者に漏洩し、覗き見されることになる。ゆえに、書簡体小説には「読むこと」そのものがテクストの内から外に転移するという構図がある[1]。 書簡体小説を含...

    2024-04-23

  • 老骨に自ら入れる鞭の驚くべき強さ~バイデン大統領一般教書演説~|橘宏樹

    現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「 現役官僚のニューヨーク駐在日記 」。 今回は11月のアメリカ大統領選挙に向けての展望をお届けします。民主・共和両党の代表がそれぞれバイデンとトランプに決まったなかでおこなわれたバイデンの一般教書演説からは、何が読み取れるのか。「現役官僚」ならではの視点で語っていただきました。 橘宏樹 現役官僚のニューヨーク駐在日記 第12回 老骨に自ら入れる鞭の驚くべき強さ~バイデン大統領一般教書演説~  お久しぶりです。橘宏樹です。だいぶ間が開いてしまって申し訳ありませんでした。仕事が忙しいことに加えて、1歳数ヶ月となる子供の世話で毎日ドタバタです。子育てあるあるですが、お風呂に入れて、添い寝しながら寝かしつけると、日中の疲れもあいまって、いつの間にか自分も寝入ってしまいます。すんでのところで睡魔に打ち勝ち、ようやく自分の時間ができたとしても、そこから何か文章を書く気力はやはり残っていない……という日々の連続です。  さて、今年のアメリカは何と言っても、大統領選挙の年です。先日、両党の候補者がそ...

    2024-04-19

  • 【新刊のお知らせ】三宅香帆『娘が母を殺すには?』 5/15(水)発売!

    本メールマガジンで連載していた、三宅香帆さんによる「母と娘の物語」がついに書籍化します! 店頭発売日は5/15(水)、AmazonほかECサイトでは、ご予約受付を開始しております! ご予約はこちら→ ▲Amazonでの予約注文は こちら 。 「母」の呪いに、小説・漫画・ドラマ・映画等のフィクションはどう向き合ってきたのか? 『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の三宅香帆が、「母」との関係に悩むすべての「娘」たちに贈る、渾身の本格文芸評論! 「毒母」「呪い」「母がしんどい」「母が重い」――いまや社会現象となっている「母と娘の葛藤」は、フィクション作品の中でも繰り返し描かれ、その解法が探られてきた。 本書では、注目の若手批評家・三宅香帆の視点をもとに、「母と娘の物語」を描いた作品の分析し、「母娘問題」のひとつの「解」――「母殺し」の具体的方法を提示する。 「あまりに物騒なタイトルに、いささか驚いた人もいるかもしれないが、もちろん「母殺し」とは、物理的な殺人を意味するものではない。そうではなく、本書で主張したいのは、古来多くのフィクションが、息子の成熟の物語として「父殺し」を描い...

    2024-04-16

  • 第十一章 主体――読み取りのシステム|福嶋亮大(後編)

    6、教師あり学習――ゲーテのビルドゥングスロマン もっとも、セルバンテス以降もピカレスクロマンの影響力は持続し、一八世紀のヨーロッパではときに女性のピカロも登場した。デフォーの『モル・フランダース』にせよ、サドの『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』にせよ、その主人公はいわば不良の女性である。特に、悪の快楽に染まったジュリエットは、美徳を象徴する妹ジュスティーヌとは対照的に、ヨーロッパの各地を旅して破壊の限りを尽くす。ジュリエット一行が道中で目の当たりにしたイタリアの火山は、まさにその放埓なエネルギーの象徴であった。 その反面、ピカレスクロマンの主人公には成長や発展の契機は乏しかった。一人称の視点を備えたピカロは、さまざまな社会環境を遍歴するが、それはしばしば単調でパノラマ的な反復に陥った。場面が劇的に変化しても、主人公はそこをサーフィンするだけで内面的な成長にはつながらない――それはピカレスクロマンだけではなく、クルーソーやガリヴァーのような一八世紀型の主人公全般に当てはまる傾向である。 この限界を超えるようにして、一八世紀後半以降になるとドイツ語でビルドゥングスロマン(Bild...

    2024-03-19

  • 第十一章 主体――読み取りのシステム|福嶋亮大(前編)

    1、一か二か ルソーが自伝文学『告白』の冒頭で「わたしひとり。わたしは自分の心を感じている。そして人々を知っている。わたしは自分の見た人々の誰とも同じようには作られていない」と大胆不敵に宣言したことを典型として、近代ヨーロッパの文学は唯一無二の創造物である「私」の探究に駆り立てられてきたように思える。故郷喪失に続く冒険を小説の基本的なテーマと見なしたジェルジ・ルカーチも、結局は「一」なる主体をその核に据えていた。 柄谷行人が指摘したように、近代小説の根幹には「内面の発見」がある[1]。これは、他者や環境から区切られた内面が、小説の探究すべき対象になったことを意味する。ルソーの『告白』は、まさに「私」を他に依存しないスタンドアローンな存在に仕立てあげた一種の独立宣言である。 古代文学と比較すると、ルソーの宣言の意義はいっそうはっきりするだろう。例えば、古代のホメロスの叙事詩では、英雄たちの心は閉じた自我のなかに格納されず、環境の作用を強く受けていた。ホメロス的人間とは「周囲のあらゆる力の影響から人間を隔絶する境界をもたない、いわば「開かれた力の場」」なのだ[2]。逆に、カメラ・オブ...

    2024-03-14

  • 勇者シリーズ(7)「勇者警察ジェイデッカー」|池田明季哉(前編)

    デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載 『"kakkoii"の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』 。 勇者シリーズ初期3部作「谷田部勇者」にみられる、少年とロボットの対等な関係性を再び持ち出した『勇者警察ジェイデッカー』。一方で前シリーズまでは深く掘り下げ切れていなかった「超AI」の設定は、本作において勇者シリーズにどのような解釈をもたらしたのか──? 池田明季哉 “kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝 勇者シリーズ(7)「勇者警察ジェイデッカー」 反動としての『勇者警察ジェイデッカー』 「高松勇者」の一作目となった『勇者特急マイトガイン』は、「谷田部勇者」が確立した少年とロボットの関係性を大幅に再解釈し、少年のナルシシズムを強化した。結果としてマイトガインはむしろ搭乗型ロボットの美学へと傾くことになった。 こうした美学の変化に、制作側はおそらく自覚的であったと思われる。なぜならそれに続く『勇者特急ジェイデッカー』は、少年とロボットの関係に明確に立ち返っているからだ。 ▲『勇者警察ジェイデッカー』ポスター。勇太少年の手にした警察手帳が、後ろの勇者ロボたちとの関係を象徴し...

    2024-03-08

  • 京都アニメーション 2ストロークのリズム(後編)|石岡良治

    今回のメルマガは、批評家・石岡良治さんの「京都アニメーション」論をお届けします。 現代アニメシーンとの直接的な接続を見出せるであろう、2010年代の京アニ作品を歴史的にどのように位置付けるべきか。「けいおん!」や「Free!」シリーズ、『氷菓』などをメルクマールとして、ゼロ年代的感性の転換を経た現代アニメ史の一つの系譜をたどります。 (初出:2023年9月29日放送「 石岡良治の最強伝説 vol.66 京都アニメーション作品 」、構成:徳田要太) 前編はこちら: 京都アニメーション 2ストロークのリズム|石岡良治 バンドアニメとしての『けいおん!』から考える時代性  『けいおん!』についてもう少しコメントすると、これも『CLANNAD』と同じく「2ストローク」のリズムで2シーズンの物語を描いた作品です。個人的にはテンポの良さからして1期のほうが好みではありますが。  正直当時は『けいおん!』を「バンドアニメ」としては見ていませんでした。いま聞くとサントラのクオリティがとても高いと思うんですが、当時は「いや、これはロックバンドのアニメではないのでは?」と難癖を付けていたタイプですね。2022年の『ぼっち・ざ・ろっ...

    2024-02-29